教1026 新たな発見 市史編さん近世編調査報告会(教育長ブログR7.12.23)
丹波篠山市では市史編さんに向けて、令和4年度から7つの専門部会(考古・古代・中世・近世・近現代・文化財・自然環境)を設置し、各分野の専門の先生を中心に、市民の皆さんの協力を得ながら調査研究を進めている。
同志社大学の「町触(まちぶれ)研究会」(崩し字で書かれた町触等の古文書を読む会。現在は大学1回生から大学院生まで9名で活動、毎週木曜日に研究会を開催)のメンバー5人が発表してくれた。前回(令和7年3月)は、寛延三年の「藩政日記」半年分の内容から、篠山藩領における「行倒人」等の発表をしてくれたが、今回は日記1年分の分析を通じて「寛延三年日記」の性格や藩主の動向等総論の報告と、篠山藩の松茸山について発表してくれた。
「寛延三年日記」には、他の多くの藩政日記と異なり、作成部署の記載がないという(他の日記なら「御家老席(ごかろうせき)日記」とか「御右筆(おゆうひつ)諸日記」とか作成部署の記述がある)。
そこで、町触研究会は、記事の登場回数(1位村役人任免 2位年貢等)や記事内容(村の様子についての記事が多い等)、指示系統(郡奉行から代官へ)等の分析から、本日記の作成部署は郡奉行であるとの結論を導き出した。
他にも、寛延三年における藩主の動向や藩主の役職「寺社奉行」としての仕事内容、国元との関係等も報告してくれた。その後の「松茸山」の話も興味深かった。
当時から松茸は篠山の名産で、将軍への献上や諸大名にも配布していたようだ。篠山藩の松茸の主な産地は高城山で人足(松茸取りの労働者)に給料(米一升)を払って採取していたが、賃金の不足で人足がたりなくなったので、高城山の一部を民間に払い下げて資金を用意したという。その民間に払い下げた山の一つが「小多田山」で、ここは教育長の地元で、父が松茸を採る権利を落札して教育長も何度か松茸を採りに行った山と分かってびっくり。これまで、全く聞いたことがない話で、新たな大発見だった。
新たな発見、若者の視点いっぱいの報告会で、今後の研究の進展が楽しみです。開会の前に指導してくださっている先生方にあいさつに伺うと、薮田部会長から「(教育長は、調査合宿・報告会)全部出席じゃないですか」と声をかけていただき、これからも近世編専門部会はもちろん、市史編さん全体にも、できるだけ関わっていきたい。













更新日:2025年12月23日