05.歴史の散歩道(南新町)

更新日:2020年06月23日

篠山城跡から徒歩約5分

散歩道の写真。道の両脇に植木が植わっており、向こう側に建物が見える。

「南の馬出」の南に東西に、自然と歴史の移り変わりを語りかけるような「歴史の散歩道」がつくられている。
篠山城が築かれたころは、このあたりは曽我部郷黒岡村であったが、沼地や川の蛇行による砂礫地であったと思われる。
築城の際に、城の東方を流れている黒岡川を、小川橋の南方約70メートルのところで、西へ直角に曲げて、南堀端に平行して吹上の方向へと流路を変えた。この川筋の変更は、何を目的としたかは明らかであって、東方に対する防御線は、黒岡川、外堀、内堀であったが、南方は、その上に篠山川を加えて、四重に構えたのである。
その後、寛永年間(1624~44)には現・南新町に下級武士の住居が建ち、南の馬出の南側に「御薪蔵」が、東側には「厩」と「内馬場」、川沿いの南側に「外馬場」が設けられていた。
ところが、この川の流れは極めて不自然なもので、これから南の地域は度々洪水に見舞われた。そこで、昭和26年に、もとのように篠山川へ切り落とし廃川とした。最近、その川床が遊歩道として整備されたものである。北側の竹林には珍しい「雲紋竹」が見られ、西端には「お厩橋」があ った。
なお、途中の東堀端へ通じる道路の角に、平成2年4月に開館された「三の丸美術館」がある。外観は篠山城三の丸の隅櫓を模したという。外堀と内堀との間の広い区域が三の丸で、ここから約200メートル北にある篠山小学校のプール付近に、京口へ向けて三層の隅櫓が設けられていたのである。
館内には主に江戸時代の具足と刀剣や、華麗な色々縅大鎧などの武具と、古丹波の名品の数々が展示されている。
散策のひととき気軽に訪れると、旅の思い出ともなる小粋な美術館である。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
※地名・交通経路等は書籍発行時のもので、現在の状況とは異なる場合がありますのでご注意ください。