14.嶺松山尊宝寺(浄土真宗) (06)

更新日:2020年06月23日

城北口バス停から徒歩すぐ

二階町・呉服町商店街を東に進むと、その真正面に堂々とした構えの「尊宝寺」がある。
ご本尊は、阿弥陀如来立像である。永正3年(1506)2月に波々伯部村の土豪、加竹法印が天台宗の尊宝院として創建し、子の印清雪隆が開山となった。城主波多野氏の崇敬が厚く、八上城の鬼門除けの祈願所となっていた。後に印清は、本願寺九世実如光兼上人の教えをうけ、名を印西と改め、浄土真宗に改宗したという。
天文年間(1532~55)のころ、寺格は高くて、丹波六郡内ではこの寺だけが、度々本願寺の斎(法会の食事)に招待されている。
その後、慶長4年(1599)、八上村藤ノ木に移り、さらに篠山城の築城に際し、鬼門除け並びに重要拠点として、現在地へ移築された。
文化4年(1807)の大火で焼けたが山門は残り、その梁上の左甚五郎作という木彫の唐獅子(町・文)が炎を吹き消したとの話が伝えられている。「親鸞聖人御絵伝」四幅(町・文)を所蔵している。本堂は、文政2年(1819)の再建であり。北方への道路は、最近、真っすぐに拡幅された。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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