24.八上城跡

更新日:2020年06月23日

重兵衛茶屋バス停から徒歩約45分

篠山盆地の中央部に美しくそびえて、丹波富士とも呼ばれる高城山(朝路山・462メートル)に、中世の名城、「八上城跡」(町・史跡)がある。
丹波守細川高国に属した波多野元清が永正5年(1508)に築城したのに始まる。元清は足利義稙から一字をもらい稙通と称し、両細川家の対立を利用して勢力を拡大した。次の秀忠は、丹波守護代となり丹波一円を制したのである。
その後、松永久秀に攻略され、甥の孫六(郎)が城主となったが、永禄9年(1566)に奪回した。
天正3年(1575)から信長の命を受けた明智勢に攻撃され善戦したが、同7年6月、調略により秀治・秀尚兄弟は安土で処刑され落城した。
丹波を与えられた光秀が滅んで、城は秀吉の配下となり城代が置かれ、次いで五奉行の一人前田玄以が5万石で入封。次男茂勝は慶長13年(1608)に改易。松平康重が笠間城(茨城県)から入封。翌年、篠山に築城されて、廃城となった。山頂に本丸の石垣が残り、岡田丸・二の丸・三の丸の平地や尾根には多くの曲輪跡が見られ、北麓には主膳屋敷跡・御殿屋敷跡があり、殿町に最初の築城地と伝えられる「蕪丸城跡」(町・史跡)がある。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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