30.神護山太寧寺(曹洞宗) (14)

更新日:2020年06月23日

奥畑バス停から徒歩約5分

八百里山の東の山麓に、いかにも禅寺らしいたたずまいをみせて「太寧寺」がある。老杉の中の苔むした石段を登ると、本堂・禅堂・庫裡・鐘楼など八棟が整然と並んでいる。
ご本尊は、聖観世音菩薩坐像である。室町時代の中ごろ、4代将軍足利義持は、丹波守護細川満元の弟満国を畑荘の預所(領家(三条家)の代理職)に任じていた。これを受け継いだ子持春は、嘉吉3年(1443)、亡父満国の供養のために、摂津護国寺の惟忠守勤禅師を招いてこの寺を創建した。開山にあたり、八幡大菩薩を請じて鎮守としたことにより、神護山の山号があり、寺名は、満国の謚名(死後の敬称)の太寧寺殿によると言う。
寛文11年(1671)に焼失したが、延宝3年(1675)、篠山藩主形原松平康信が諸堂を復興している。江戸時代には、10万石の格式が与えられていた。現在の本堂・庫裡は文化年間(1804~18)に造立されたものである。
寺の裏に、初代城主松井松平康重の娘と乳母の墓があり、寺内に多く咲く、康重が最初に植えたという「殿様椿」は見事である。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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