68.春日神社 (34)

更新日:2020年06月23日

後川バス停から徒歩約10分

バス停から東へ、羽束川沿いに約800メートルの山麓にあり、大鳥居を経て荘厳さの漂う参道を進み、苔むした石垣の上に乗った長床の下をくぐると、清浄な古社の構えの「春日神社」の社殿がある。
後川は「東大寺要録」に天平20年(748)11月23日の「諸国諸荘田地」に「多紀郡後川荘田廿八町三段二百五十六歩」とあり、丹波国で最も早く成立した荘園である。その後も東大寺領として続き、鎌倉期の建保2年(1214)ごろには、年貢は東大寺の九月大仏殿般若会料に充てられるなど重要な所領であった。
こうして、奈良との関係が密接であったうえに、嘉応2年(1170)12月、藤原成経が、次いで承安4年(1174)ごろにも藤原盛綱が後川荘の領家となった。そこで、藤原氏の祖神の春日大社のご分霊を天福元年(1233)に勧請したものと考えられる。
初めは、原谷の奥に社を設けたが、集落から遠方のため、宝治元年(1247)、上村と中村にそれぞれ移したのである。
鳥居の神号額に「龍神春日社」とあるのは、龍はよく雲をおこし雨を呼ぶということから、雨乞いの龍神信仰を合わせたものと思われる。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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