74.小野の宝篋印塔

更新日:2020年06月23日

福住小野バス停徒歩約6分

山陰道小野駅跡の石柱から西へ20メートルばかり引き返して、南方へ約100メートル行くと、左側山麓に竹と樹木に囲まれた古い墓地がある。このあたりは、荘園領主の屋敷跡であり、そこに西光寺が造営されたが、それも度々の兵火などで廃寺となったと言われる。
ここに、美しい形の「宝篋印塔」が建っている。高さは1.1メートルで、台座正面横に「宝徳元年(1449)己年十月四日」という記銘がある。室町時代の代表的な作品であり、町の文化財に指定されている。宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼(梵字の呪文)を納める塔で、鎌倉時代に一定の形式ができ、次第に供養塔・墓碑塔として用いられるようになった。
小野奧谷の集落をさらに進むと、大宝2年(702)に紀伊国熊野三山を勧請したという「飛蔵山清水寺跡」がある。七堂伽藍を備えた大寺であったと伝えられる。
その折りの一社が、二之坪の熊野新宮神社である。この地には、今、集落奧の右手山腹に、永享年間(1429~41)、熊野本宮大社よりご分霊をいただいたという熊野神社があり、土地の人は「権現神社」と言って信仰している。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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