76.福住の一里松

更新日:2020年06月23日

福住上バス停から徒歩約2分

福住の地名は、昔は福泉とも書いた。福泉とは、吹く泉で、水がよく湧く泉という意味であり、川岸の肥えた土地があって、幸福に暮らせるところということだろう。
『籾井家文書、福泉・系図並由緒書』には、福泉村、籾井城主福泉下野守綱利と書いてある。
また、古くは桂山(458.9メートル)という山が有名であることから、桂とも言った。
古代から山陰道の要衝であった。江戸時代、それは京街道と呼ばれ、篠山藩領に入った最初の宿場で、商取引も盛んに行われた町並みが、現在もなおその姿を残している。
福住小学校を経てしばらく東へ行くと、水無川の手前、道の両側に近年まで松の大木があった。これは、篠山築城の際に、京街道に沿って一里ごとに松を植え、一里塚としtたもので、ここが篠山城大手門より三里目の「福住一里松」である。最近、新たに松を補植し、珍しい史跡を残すことになった。
もう少し行くと関所川が横切り、その付近から向うは亀山藩領であった。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
※地名・交通経路等は書籍発行時のもので、現在の状況とは異なる場合がありますのでご注意ください。