78.桂峯山如来寺(浄土宗)と仁木城跡 (42)

更新日:2020年06月23日

福住バス停から徒歩約8分

「如来寺」は、もとは真言宗の寺院で「上ノ坊」と称し、永保2年(1082)に創建されたという。ここは山陰道(京街道)と摂津への道の分岐点で、周囲の数坊とともに集落が栄えていた。
その後、この寺は籾井城主の祈願所となっていた。境内には永正年間(1504~21)に籾井城を築いたという籾井河内守照綱の石塔がある。明智光秀の丹波攻めの際に焼失し、寛永2年(1625)、閑誉上人が「如来寺」として再建した。
ご本尊は、阿弥陀如来(五智如来)坐像である。
南の山を「仁入道山」(546メートル)と呼んでおり、室町時代から「丹波仁木氏の居城」があった。確かな記録に、永享年間(1429)に「丹波仁木兵部少輔・五番仁木少輔入道」とあり、また、永禄6年(1563)ごろには「仁木左京大夫長政」がいたことが記されている。しかし間もなく、仁木氏は四国吉野川の上流へ移ったとされる。
後方の桂山は、福住の住吉神社が最初に祭られた場所と言われ、古歌にも詠まれている。

「照る月に桂の山に家居して くもりなき世に逢いにけるかな」
大江 匡房

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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