89.合戦場跡と筱見観音

更新日:2020年06月23日

丹波東雲バス停から徒歩約10分

筱見四十八滝への入口の道路脇に小公園が設けられ、立派な「聖観音立像」が建立されている。これには次のような事情がある。
応仁元年(1467)正月、丹波・摂津・讃岐・土佐などの守護細川勝元は、いわゆる「応仁の乱」に備えて、丹波守護代内藤元貞らの族党を京都に招集した。
そのすきをねらって、但馬・播磨・備後・安芸などの守護山名宗全側の垣屋・八木・太田垣・田井(結)庄・南条らの軍勢が丹波に進攻を図った。同年6月8日、内藤則繁は天田郡夜久野に迎え討ったが、多勢に無勢、敗れて丹波内藤氏の出身地多紀郡へ引き上げた。あとを追って山名勢は乱入してきた。内藤勢は、主力は上京しており、陣営を立て直すこともできず、次第に追いつめられて、村雲村筱見付近で全滅に近い打撃をうけたのである。
この戦いを「丹波村雲合戦」といい、土地の人々は今にその激戦の地を「合戦場」と呼んでいる。
昭和49年、西宮の「百万石酒造」が、その戦場跡に丹波工場を建てたが、往事の戦死者の供養と除災のために、昭和52年、同社は地元の協力により、聖観音立像(高さ約1.8メートル)を建てたのである。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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