91.玄渓山豊林寺(真言宗)と豊林寺城跡
茶屋ノ上バス停から徒歩約7分
櫛石窓神社の北方約700メートルのところに「豊林寺」がある。白鳳=白雉2年(651)に法道仙人が開いたといい、陽成天皇(在位・876~84)の時には勅願所となったと伝えられている。
宝治年間(1247~49)に教仙僧都が七堂伽藍、寺下一九坊を建て、三岳修験道の寺院として栄え、永徳3年(1383)には寺領300石の朱印状をもらったと言われる。ところが、応仁元年(1467)、兵火によりすべて焼失した。元亀年中(1570~73)に出羽和尚が再興したが、明智光秀の丹波侵攻のため天正5年(1577)、またも兵火をうけた。
その後、慶長4年(1599)に四坊を建て、二坊は天台宗、二坊は真言宗としたのである。この時の下の坊が現在の豊林寺となった。
ご本尊は、観世音菩薩坐像である。昭和22年に金剛峰寺の直末となった。薬師堂があり、東谷に慶谷山浄滝寺、地蔵堂、庚申堂があった。
後ろの城山(520.3メートル)に、「豊林寺城跡」があり、福井城、大雲城とも呼ぶ。応永年間(1394~1428)に大芋式部丞が築き、代々大芋氏の拠点であった。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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更新日:2020年06月23日